大使たより(令和5年9月15日)

栗田克彦様からの大使たよりです。


前略
 この度の「水戸大使の会」大変申し訳ありませんが、欠席致します。この夏の異常の暑さで体調が思わしくありません。今回は大事をとって体調を整えたく存じます。一年振りに皆様にお会いして元気を沢山もらいたいところ、申しわけありません。
 何卒よろしくお願い致します。

 
 皆様に是非とも知って頂きたい、小生の不思議な「縁」をご紹介します。それは小生と同年代の仏人のコービさんの話(ブザンソン在住の元銀行頭取)ブザンソンは国際青年指揮者コンクールで小沢征爾さんが1959年第一位を受賞して有名になった都市。コービさんは大の親日家で日本へ何度も観光で訪れ(自宅の応接間に江戸時代の雛人形や刀剣、十手等が飾られている)日本の文化にはとても興味があり、日本の歴史本も相当読んでます。それ故彼は地元の仏日協会の会長を永年勤め平素若い会員に指導している。テーマを決めて、勉強会を催したりと、地元では有名な文化人である。

 その彼を小生に紹介してくれたのが元の会社の後輩で彼は当時仏国勤務が長く13年、英語より仏語が達者の男である。

 突然彼から電話が有り「今度コービさんが友人2人と夫婦同伴で日本へ来る。栗田さんは水戸大使をしているので、彼等6人に水戸の案内しては如何ですか?」早速その由を飯村産業経済部長に伝えると喜んでお受けするとの回答。

 当日は大雨の中、水戸駅から3夫婦プラス後輩と小生8人で仮の市庁舎まで徒歩。奥の部屋を案内され、まずコ―ビさんが表敬訪問の由を仏語で。後輩が通訳と。その後、ミニバスを用意して頂き、市内をゆっくり観光。驚いたのは15代将軍慶喜は水戸藩出身ですネと話しかけられた。更に光圀、斉昭も熟知。幕末の水戸藩の苦悩まで知っているとは?

 その晩8人で東京へ戻って外国特派員協会のレストランで夕食。帰り8人共山の手線に同乗。彼等の宿がある田町で別れる時、各々ハグしてきたのは驚いた。その後2年して後輩がコービさんから栗田さんご夫婦でブザンソンへ来ませんかと誘われ、喜んで「行きます」と返答。後輩は次女が嫁いでパリに住んでいるので奥様と一緒に毎年一ヶ月程滞在していた。小生は久々の空の旅愚妻と2人で一路パリへ。無事後輩夫婦と合流。夕刻であったので4人で食事を採り、仏の新幹線に乗って5時間の旅。ブザンソンに着いたのは12:00前。真夜中。これからホテルまで大きな荷物持って行くの大変だと考えていたら、コービさんが大型車で出迎えてくれ、大きな荷物を次々と車へ。我々が予約しくれたホテル迄送ってくれた。別れ際に「明日は10時このホテルまで2人の仲間各夫婦で迎えに来ます。」と。全く日本の常識では考えられない真夜中での出迎え聞いたこともありません。VIP待遇に驚く。

 翌日はブザンソンの市内観光。スタンダールの「赤と黒」の舞台になった教会、世界文化遺産の巨大要塞等。ブザンソンを離れる日、昼食会をコーリさんの自宅へ招待された。自宅は市の中心地からは離れていたが2000坪の土地にプール付き。パーティー大好きな彼には相応しく大きなグリーンの芝が拡がっていた。我々4人を珍客としてとても丁重に歓迎してくれた。ワイン4本を空け宴たけなわの中で旅の恥は掻き捨てと小生は立ち上がり、遠方の芝まで走った。学生時代に謡曲「宝生流」の部に入っていたので、下手でも良いから異郷の地で日本人大好きの仏人の前で謡曲「羽衣」の一部を披露した。芝に正座して扇子を持ち「あずまあそびのかずかずに...」と15分程謡った。すると場の雰囲気は一変、拍手やカメラ想像したことない「芸」?日本文化の一つに直に接したようで驚いていた。歓喜が沸いた。日本人の後輩も全くの初体験だったので驚くばかりだったそうだ。終えると皆小生のところへ来て皆6人が小生に「素晴らしかった。」とハグ。その晩パリに着いて数日間パリを観光して帰国。パリでは第二回パリ万博会場へ行く。招待を受けた慶喜が代理に弟昭武を送り随行として渋沢栄一も同伴した。その会場はエッフェル塔の下で建物は無く公園になっていた。

 あれから6年コービさんが10月25日、日本政府から日仏文化交流に関し多大なる貢献をしたことで表彰されるとの連絡を受けました。そこで彼が仏語で日本との交流についてスピーチががあるそうです。そこで、スピーチの中に「水戸」が登場するか否かがとても待ち遠しいです。この事実を少しでも知ってもらいたくペンを採りました。