中嶋勝彦大使たより(後編)

その一

水戸学が幕末に日本を動かし、今日の基になったと思います。

コロナ以降、東京よりも富山県の井波にいることが多くなっています。そこは加賀前田侯から宮大工10人が拝領地として与えられた地です。多くの大工の里になり、それが続いて社寺建築を手がけてきましたが、今は大工さんがいなくなっています。1770年頃に木彫刻の技術を京都の彫刻師から教えられ、以来250年間、木彫刻の町にもなっています。清水建設の2代目が井波で大工修業をして江戸に出て初代を助けて、同社の基礎を築きました。開港後の横浜の建築や第一銀行などの西洋風建築を手がけて日本の建築史をつくりました。江戸末期の記録を見つけて、清水建設に伝えて同社から何組か来訪して史料やら関係地を案内しました。先週も来訪があり、探偵団ごっこの感覚になっています。お陰で幕末からの時代を感じることが多くなっています。

戦後、和室に飾る欄間の需要が高まり、潤った彫刻師が一時は300人近くいたのが今は需要が激減し彫刻師も100人を割っています。その技術をネットで知ったプリンストン大学生が突然、連絡してきて1月に1週間来訪、我が家に受け入れ、彫刻師などの調査聞き取りを手伝いました。アメリカで木彫刻がまったく知られていないのを不思議に思い、知名度を上げて注文につなげれば彫刻技術が廃れずに済むと考えてくれています。来月、再度の来訪を計画していますが、旅費を出してくれる大学の仕組みに驚きます。うまくいけば米国で話題となれば日本に跳ね返り、日本で見直される、と夢を見ています。

その二

井波の老人クラブ会報が私のことを取り上げてくれました。水戸との関係も含めてご笑覧ください。
https://ildivo.sakura.ne.jp/sblo_files/inami/pdf/E88081E5AE9D408E58FB7.pdf

これでは、水戸への思い入れが足りないとお叱りを受けそうです。

金沢から車で50分です。金沢はインバウンドで溢れているのに地元のPR不足でひっそりとして隠れた観光地になっています。

観光には、物見遊山だけでなく、ガイドが歴史や背景を説明すると理解が深まり、興味が湧きます。有料ガイドの充実が観光振興に役立ちます。通訳案内は有資格者だけしかできなかったのが、今は無資格でも料金を取れる時代になっていると知りました。有資格者によるしっかりした解説が望まれますが、アルバイト的になら無資格者が現実的でしょう。水戸は見るだけでなく、歴史の説明が日本人にも必要ですね。観光スポットでQRコードから音声や文字解説が入手でき仕掛けも必要です。これらは観光コンベンション協会が考えるべきかもしれません。